命日。③
2009年 08月 15日
夜が明けた。
手術の日。
宿った命を完全に取り去ってしまうことが悲しかった。
でも、この痛みから解放されることばかり考えていた。
痛くて身もだえて、ベッドから落ちそうになることが度々だった。
早く夫の顔が見たかった。
面会の時間を待ちわびた。
夫が母を連れて病室にやってきた。
母はこういう事態が苦手である。
必死で違う話題をし(夫の里の名物の話とか)、
明るく盛り立てようとしていた。
少し話に付き合ったが、
私のお腹と腰は変わらず激痛が走っていたし、
そして手術が近づいてきて怖かった。
なにしろここは相部屋の病室である。
うるさくしては迷惑だ。
「少し、静かにして。寝ていたい」
そう母に言い、悪いと思ったけど病室から出ていってもらった。
夫には側にいてもらい、手を握ってもらった。
不思議なことに、少しだけ痛いのは消えた。
手術には大げさにもベッドで運ばれた。
よくテレビドラマで観るあれだ。
夫と母が心配そうに見送るのがどんどん遠くになっていく。
もうすぐぽよ子がいなくなるんだなぁ。
それを感じて、目をつむった。
手術室はやたら広かった。
テレビドラマで観る手術室よりも全然。
そして、人がいっぱいいた。
10人は絶対いた。
手術台に「いっせーのせ」でシーツごと移され、
麻酔を打たれた。
股を開いたとこまでは覚えている。
「みえりさーん、聞こえますか?」と問われて、私の意識は途絶えた。
気がついたら、手術は終わり、私はオムツをさせられてベッドの上だった。
「無事に成功しました」と眼鏡医師は告げ、
ベッドごと病室に運ばれた。
病室でぼんやりしていた。
夫と母は眼鏡医師に話を聞きに行っていた。
看護士が私の血圧を測っている。
ふいに私は聞いた。
「赤ちゃん、いなくなっちゃったの?」
これは、夢である気がしたから。
さっきまでの痛みは嘘のようになかった。
現実だったのだろか?昨日までの出来事は。
「いなくなっちゃったの。でも、大丈夫。絶対また赤ちゃん来るわよ」
看護士はそう応え、微笑んだ。
うん。
私は頷いて、また眠った。
目を覚ますと、夫が横に座っていた。
目を見合わせて「ふふふ」と笑った。
生きて会えてよかったね。
また、会えてよかったね。
でも、ぽよ子いなくなっちゃったよ。
また、赤ちゃん来てくれるよね。
大丈夫だよね。
今度はちゃんとパパとママになろうね。
そんな約束をしたのを覚えている。
2時間して、退院していいと言われた。
午前中まで身悶るほど苦しんだ痛さはどこにもなく、
フアフアしてたけど普通に歩けることに驚いていた。
それからの2週間のことはほとんど覚えていない。
職場から「もう来なくていい」と宣言され、
手紙の1つもないまま、私の筆記用具とパソコンの本が送りつけられたことは覚えている。
さんざんだなぁ、私。と笑ってしまった。
一方、母が大きなすいかを一玉抱えて、やってきた。
2時間近く重いすいかを抱えて、えんやらこらと。
大きなすいかを見た瞬間、素直に「ありがとう」と思えた自分がいた。
こうやって、少しずつ親子の関係が深まっていくのかもしれない。
あっという間に結婚式当日になっていた。
結婚式当日は、幸せだった。
楽しかった。
皆に祝福されて。
その後の経過も良好だった。
血液内科には、いまも定期的に通って経過を観察している。
あの時ほど血小板は減ることはなく、やや少なめで安定している。
しかし夫婦共々待っているのだが、
赤ちゃんはあれから全然やってきてくれない。
神様は私たち夫婦に授けてくれない。
ぽよ子は何故私のお腹に宿り、生まれてきてくれなかったのだろう?
そこで、思う。
夫と出会う前、「いつ死んでもいいや」と思っていた自分がいた。
「生きてる意味」がわからなくて、
なんのために生きていけばいいのか途方に暮れた日々。
自分は必要ない人間だと思っていた。
だけど、違う。
子どもを授かることは、奇跡で、
「この世に生まれること」は択ばれたことで、
運命で、必然で、ワンダホーなことなのだ。
Happy Birthday!
生まれたきた意味なんか考える必要なんかない。
この世にいるだけでいい。
生きているだけでいい。
それだけで。
そう教えてくれたのは、ぽよ子。
ずっと悩んで答えが見つからなかった私に、答えを授けてくれた。
ぽよ子はそれを教えるために、宿り、人知れずに消えてしまった。
ものすごく、ものすごく、いい子。
お母さん、ぽよ子のこと忘れないよ。
Happy Birthday!!!
ずっと忘れない。
私が生まれたことは奇跡。
**************
ここまで、5月下旬に書き上げていた。
そして、また私のお腹に新しい命が授かったことを知ったのは6月はじめ。
待望の妊娠だった。
しかし、また6月13日に命は消えてしまった。
6月は私たち夫婦にとって最悪な月だ。
血小板が少ないことが原因でもなく、
ただ、赤ちゃんに生きる力がなかったと説明された。
妊娠反応が消え、生理がやってきてしまった。
化学的流産というやつだそうだ。
やっと1年ほどかけて、
この世に生まれてくることのできなかった命のことを納得し、
自分なりに答えが出せたと思った瞬間のことだった。
神様はまだ私が生まれたことが奇跡であると思い知らせ、
そして、命の尊さを学ばせようとしているのだろうか?
もう、十分だ。
十分だよ、神様。
人生うまくいかない。
ほんと笑ってしまうくらい。
でも、負けてたまるか。
今は、一番生きていて幸せなことは変わりない。
さらに、我家に天使が舞い降りますように。
家族が増えて、ニコニコがもっといっぱいになりますように。
私が小さい頃からずっと夢だった、一家団欒のある家庭を築けますように。
絶対、絶対、もっと幸せになる。
欲張りで何が悪いんだ、このやろー!!
まずは、夫婦ふたりこの悲しみに負けずに、
強く笑って手を繋いでいくしかないのかな?ね、夫。
******
そしてこの文章を書いた2年後の今、
元気な1歳児の娘の母として、私はいる。
今、命日①、②、③を読み返してみて、生々しく思い出せて泣けた。
心の友と一緒で、1歳児の元気娘は3人目の子ってやっぱり思ってるよ。
ね、心の中ではずっと生き続けてるよね。
ずっと、ずっとね。
忘れずに生きていこう。
天国から守っていてくれる、この世に産まれることができなかった命のことを。
手術の日。
宿った命を完全に取り去ってしまうことが悲しかった。
でも、この痛みから解放されることばかり考えていた。
痛くて身もだえて、ベッドから落ちそうになることが度々だった。
早く夫の顔が見たかった。
面会の時間を待ちわびた。
夫が母を連れて病室にやってきた。
母はこういう事態が苦手である。
必死で違う話題をし(夫の里の名物の話とか)、
明るく盛り立てようとしていた。
少し話に付き合ったが、
私のお腹と腰は変わらず激痛が走っていたし、
そして手術が近づいてきて怖かった。
なにしろここは相部屋の病室である。
うるさくしては迷惑だ。
「少し、静かにして。寝ていたい」
そう母に言い、悪いと思ったけど病室から出ていってもらった。
夫には側にいてもらい、手を握ってもらった。
不思議なことに、少しだけ痛いのは消えた。
手術には大げさにもベッドで運ばれた。
よくテレビドラマで観るあれだ。
夫と母が心配そうに見送るのがどんどん遠くになっていく。
もうすぐぽよ子がいなくなるんだなぁ。
それを感じて、目をつむった。
手術室はやたら広かった。
テレビドラマで観る手術室よりも全然。
そして、人がいっぱいいた。
10人は絶対いた。
手術台に「いっせーのせ」でシーツごと移され、
麻酔を打たれた。
股を開いたとこまでは覚えている。
「みえりさーん、聞こえますか?」と問われて、私の意識は途絶えた。
気がついたら、手術は終わり、私はオムツをさせられてベッドの上だった。
「無事に成功しました」と眼鏡医師は告げ、
ベッドごと病室に運ばれた。
病室でぼんやりしていた。
夫と母は眼鏡医師に話を聞きに行っていた。
看護士が私の血圧を測っている。
ふいに私は聞いた。
「赤ちゃん、いなくなっちゃったの?」
これは、夢である気がしたから。
さっきまでの痛みは嘘のようになかった。
現実だったのだろか?昨日までの出来事は。
「いなくなっちゃったの。でも、大丈夫。絶対また赤ちゃん来るわよ」
看護士はそう応え、微笑んだ。
うん。
私は頷いて、また眠った。
目を覚ますと、夫が横に座っていた。
目を見合わせて「ふふふ」と笑った。
生きて会えてよかったね。
また、会えてよかったね。
でも、ぽよ子いなくなっちゃったよ。
また、赤ちゃん来てくれるよね。
大丈夫だよね。
今度はちゃんとパパとママになろうね。
そんな約束をしたのを覚えている。
2時間して、退院していいと言われた。
午前中まで身悶るほど苦しんだ痛さはどこにもなく、
フアフアしてたけど普通に歩けることに驚いていた。
それからの2週間のことはほとんど覚えていない。
職場から「もう来なくていい」と宣言され、
手紙の1つもないまま、私の筆記用具とパソコンの本が送りつけられたことは覚えている。
さんざんだなぁ、私。と笑ってしまった。
一方、母が大きなすいかを一玉抱えて、やってきた。
2時間近く重いすいかを抱えて、えんやらこらと。
大きなすいかを見た瞬間、素直に「ありがとう」と思えた自分がいた。
こうやって、少しずつ親子の関係が深まっていくのかもしれない。
あっという間に結婚式当日になっていた。
結婚式当日は、幸せだった。
楽しかった。
皆に祝福されて。
その後の経過も良好だった。
血液内科には、いまも定期的に通って経過を観察している。
あの時ほど血小板は減ることはなく、やや少なめで安定している。
しかし夫婦共々待っているのだが、
赤ちゃんはあれから全然やってきてくれない。
神様は私たち夫婦に授けてくれない。
ぽよ子は何故私のお腹に宿り、生まれてきてくれなかったのだろう?
そこで、思う。
夫と出会う前、「いつ死んでもいいや」と思っていた自分がいた。
「生きてる意味」がわからなくて、
なんのために生きていけばいいのか途方に暮れた日々。
自分は必要ない人間だと思っていた。
だけど、違う。
子どもを授かることは、奇跡で、
「この世に生まれること」は択ばれたことで、
運命で、必然で、ワンダホーなことなのだ。
Happy Birthday!
生まれたきた意味なんか考える必要なんかない。
この世にいるだけでいい。
生きているだけでいい。
それだけで。
そう教えてくれたのは、ぽよ子。
ずっと悩んで答えが見つからなかった私に、答えを授けてくれた。
ぽよ子はそれを教えるために、宿り、人知れずに消えてしまった。
ものすごく、ものすごく、いい子。
お母さん、ぽよ子のこと忘れないよ。
Happy Birthday!!!
ずっと忘れない。
私が生まれたことは奇跡。
**************
ここまで、5月下旬に書き上げていた。
そして、また私のお腹に新しい命が授かったことを知ったのは6月はじめ。
待望の妊娠だった。
しかし、また6月13日に命は消えてしまった。
6月は私たち夫婦にとって最悪な月だ。
血小板が少ないことが原因でもなく、
ただ、赤ちゃんに生きる力がなかったと説明された。
妊娠反応が消え、生理がやってきてしまった。
化学的流産というやつだそうだ。
やっと1年ほどかけて、
この世に生まれてくることのできなかった命のことを納得し、
自分なりに答えが出せたと思った瞬間のことだった。
神様はまだ私が生まれたことが奇跡であると思い知らせ、
そして、命の尊さを学ばせようとしているのだろうか?
もう、十分だ。
十分だよ、神様。
人生うまくいかない。
ほんと笑ってしまうくらい。
でも、負けてたまるか。
今は、一番生きていて幸せなことは変わりない。
さらに、我家に天使が舞い降りますように。
家族が増えて、ニコニコがもっといっぱいになりますように。
私が小さい頃からずっと夢だった、一家団欒のある家庭を築けますように。
絶対、絶対、もっと幸せになる。
欲張りで何が悪いんだ、このやろー!!
まずは、夫婦ふたりこの悲しみに負けずに、
強く笑って手を繋いでいくしかないのかな?ね、夫。
******
そしてこの文章を書いた2年後の今、
元気な1歳児の娘の母として、私はいる。
今、命日①、②、③を読み返してみて、生々しく思い出せて泣けた。
心の友と一緒で、1歳児の元気娘は3人目の子ってやっぱり思ってるよ。
ね、心の中ではずっと生き続けてるよね。
ずっと、ずっとね。
忘れずに生きていこう。
天国から守っていてくれる、この世に産まれることができなかった命のことを。
by ohisama6262
| 2009-08-15 22:24