1歳になる娘が、今、横ですやすやと寝息をたてている。
にこにこ笑顔が可愛い娘に、
毎日の育児は大変ながらも癒されている私。
そんな私が、妊娠3~5ヶ月の2ヶ月間、
とても抜け出すことが容易にできない、穴に落ちてしまった。
私は自分の母親に心を閉ざしている。
小学校5年の時に
「母親に本音を見せないことが母親に対しての復讐になる」と
ハッキリ思ったことを覚えている。
何がきっかけかといえば、
よく泣く私の気持ちを聞き出してくれずに、
イライラした対応しかしてくれない母親に幻滅したから、
ということだけのことだった。
今では「だけ」だと思うけれど、
当時の私にとっては、
「自分の気持ちをわかってくれない」ことは、死に値した。
大好きなお母さんに、イライラしかされない自分は、死に値した。
たぶん、自己防衛として「母親に本音を言わない」という事態になったのだろう。
泣いたりわめいたり、本音を言わなければ、
いい子でいれば、母親とうまくいく。
親の前でいつも自分を演じ、
母親の期待通りになるように努力して、
でも、ホントは陰で舌を出しながら33歳まできてしまった。
陰で舌をだすどころの話ではない。
正直、何度「死んでくれたらいいのに」って心の中で呪ったかわからない。
テレビのニュースで、子が親を殺すニュースは、他人事ではなかった。
コメンテーターが、親を殺した子を批判するたび、
「幸せの家の子に、何がわかるの?親を殺したいと思ったことのない人に、
その気持ちを想像できない人に、何も批判する資格はない」いつもそう思っていた。
そして、その横で母親や祖母が「子どもが親を殺すだなんて、信じられない。親はひどい子育てをしている。うちはすごく素直でいい子だから想像できない」と言っているのを聞き、すぐ横にいつ親や家族を殺すかわからないという、悪魔を抱えている子どもがいることにまったく気づかないことにも腹が無性にたった。
私は何も言わなかった。
自分でいうのもなんだけど、感のいい子どもだった。
小学4年の時に、父とは死別ではなく、離婚したことに気づいた。
その理由を本人に聞きだすのではなく、親の留守にこっそり押入れをあさって、
父からの手紙の束を探しだし、全て読んで、ことのイキサツを理解した。
隠してあった写真も探し出し、父の顔も知っているし、
父の住んでいる住所も知っているし、電話帳で調べて父の家に電話もかけたこともある。
オジイチャンぽい人がでて、すぐ切ったけど。
私が色々知っていることについて、祖母も母も全く知らない。
私は何もしらない無知のいつまでも赤ちゃんのかわいい「みーちゃん」でしかない。
父のことは、小学校高学年の時に色々調べたのだけど、
正直「ドラマの主人公みたい」なんて思って、
それほどシリアスな出来事ではなかった。
それがシリアスに自分にのしかかってきたのは、もっと先の大学生くらい。
色んなことが、ほんとにわかった時期で、
大学時代はよい人間関係に恵まれてたけど、
ひたすら心はしんどかった。
話はだいぶそれたけれど、
いつも「家族が皆死んでしまえばいいのに」と思っていたことに戻る。
ただ、いつも思っていただけで、実行にはうつさなかった。
うつせなかったが正しいかな?
ただ、自分はある意味「罪人」であると思っていた。
人が死んでしまえばいい、
しかもとても自分のことを愛してくれている親に、
そんな気持ちを抱くことは、罪人でしかないような気がしていた。
しかし、「死んでしまえばいい」もしくは「自殺したい」(「完全自殺マニュアル」を持っていた)という気持ちは、
いつも拭えない。
いつ罪を犯すかわからない自分。
それを救えるのは、祈ることしかなかった。
「ただ、幸せになりますように。家族3人仲良く元気に暮らせますように。
ステキな女性になれますように。どうか、わたしを私たちをお守りください」
この祈りの言葉は、私の心からポロリと出てきた言葉。
どこの宗教にも属してるわけでないから、自己流の素直な祈りの言葉。
今でも祈りの言葉を思い出して、スラスラと書ける自分に驚いている。
何回、いや、何百回、何万回、祈ったんだろう?
死んでしまえばいいだなんて思っていたのに、
「家族3人仲良く元気に暮らせますように」という言葉がでてきていつも祈っていた自分は、
本当は、家族と仲良くしたかったのだなぁ、と、今、しみじみしてみたり。
祈っていれば、罪を犯さないでいられる気がしてしょうがなかった。
子どもの頃の記憶だからあてにならないけど、
小学4年生の頃、いつものように空に向かってお祈りをしていたら、
24歳くらいの大人の自分がやってきて
「今は辛くても、後になったら辛くないから大丈夫。今クヨクヨしてることなんて、なんてないことだよ」って、
言ってくれたことがある。
冷静に考えれば、オイオイ作り話だろって話だけど、
ホントにほんとに、未来の自分が小学生の自分を励ましにやってきてくれたんだ。
イカれてると思われてもしょうがないかもしれないけど、
未来の自分が言った言葉に、救われて、
そして、そう信じて今まで生きてきた。
「今は辛くても、何年後かには辛いことではなくなる」という言葉は、辛い場面に遭遇するたび、
いつも唱える魔法の言葉にいつしかなっていた。
祈っていると風や木々や、空と対話ができた。
これも、イカれている、頭大丈夫?的な話だけど、
祈るたびに、風や木々かタイミングよく「ざわざわ」と言うのだ。
ダイジョブ、私は祈っていれば罪人にならない。
心に悪魔がいるけど、それを認めてくれる、風や木々や空。
色んなものに守られて、私はいて、大丈夫、
辛いけど、祈っていれば大丈夫。
ほんとに、よく本当の罪人にならないでこられたと思う。
それは、ほんとに、いつも私が目に見えない何かに守られてきたから。
今も無意識に色んなものに祈る。
キレイな朝焼け、はじけるような子どもの笑顔、
色がどんどん変わっていく夕焼け、
一番星、
静かな夜に。
昔は人工衛星が頭上を通る23時45分にベランダに出て祈るのを決めていたので、
今でも、24時前には、ベランダにでなきゃいけない気がしてしまう。
今はしない。
たぶん、とても、幸せなのだろう、私。
またまた、とても、話がそれた。
限りなく深きマタニティーブルーの話をしようとしていたのだ。
妊娠3~5ヶ月の頃いつも頭にあって、重くのしかかっていた。
私は、ちゃんと親になれるだろうか?
いや、違う。
わが子に私もいつか嫌われる日が来るのではないだろうか?
自分が母親にしてきたように。
そう思うと、怖かった。
自分が親になることが恐怖になってしまった。
ぐるぐるぐるぐる同じことを考え、
そして、嬉しいはずの妊娠、待望だった妊娠を喜べない自分に幻滅して、
昔の、思い出さなくていいことまで思い出して毎日泣いていた。
妊娠した私は、無意識に街を歩けば赤ちゃんを探すようになっていた。
どんどん大きくなるわが子も、こんな風に大きく育つのかな、
なんて思いをはせてみる。
でも、しかし、私は親と同じことをしないだろうか?
子どもの気持ちよりも、自分の地位やプライドを気にしないだろうか?
2回の流産を経験して、不育治療に大学病院通い、色んな検査をして、
最終的に排卵誘発剤を使うことになって、排卵誘発剤を使って1回目で妊娠した子。
(実際は排卵誘発剤関係なかった、タイミングで授かったように思うのですが)
そこまでして、妊娠を望んでいた私がいたのに、
何で今の状況があるのだろう?
何を悩んでいるのだろう?
「自分は子どもに嫌われるかもしれない」とまだ産まれてもない子どもに怯える自分がばかばかしく思えてきた。
そうだ、自分がどうあるかは自分がきめる。
嫌われてもいい。ただ、ただ、子のことを思い、見守り、
そして、子どもが泣いていたら、そっと寄り添ってぎゅ~って抱きしめてあげられるママになろう。
わが子の一番の味方になろう。
いっぱい、いっぱい、わが子を愛そう。
私の限りなき深きマタニティーブルーは終焉を迎えた。
そして、今、やっぱりステキなモノに会うとやっぱり祈る。
「わが子を守ってください」
不思議にも、いつも出てくる言葉は、この言葉。
私が色んな目に見えないモノに守られて、ここまで生きてこれたから、
目に見えない何かに祈らずにはいられない。
今度はわが子を守ってください。
そして私も、いつも家族を見失わずにいれますように。
たくさん、たくさん、愛していこう。
見守る大きな愛し方をしたい。
まだ、自分の母への復讐は続いている。
人間、許すというのは、本当に本当に時間がかかるのです。
その話はまた今度。